あっさり。からの、すんなり。

2018.11.05 Monday

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    久し振りにうちのFAMILY HISTORY続きの続き。

     

    2年前の祖父母の祖先を辿った時と決定的に違うのは…

    ・時代が近いと言う点

    ・そしてごく一般人であると言う点

     

    2年前の時は戦国武将の末裔やら、

    徳川家の家臣やら江戸時代を代表する芸術家やらが登場しました。

    明治天皇に軍帽を謹上していたお方も出てきましたな。

     

     

    さて前回では現住所が判明したところまで書きました。

     

     

    ■出生地判明!

    現住所が判明し早速検索googlemapで検索してみる。

     

    0.04秒でヒット・・・ストリートビューにしてみる。

    やっぱりネットって便利やねf^^;

     

    当時の建物ではないだろうけど田圃の中にポツリと一軒だけ立派なお屋敷が建っていた。

     

    そしてお世辞にもあてにならなかった伯父さん唯一の当時の記憶、

    【川の近くに住んでいた】証言にも合致する川がすぐ横に流れている。

     

    少なからず64年前に婆ちゃんが住んでオカンが生まれた場所が判明。

    普通の人なら15分くらいで調べられそうな事を三日もかかった。

     

    オカンの話だと「当時は極貧で間借りして住んでた」と言うことなので、

    多分、この立派なお屋敷に住み込み女中みたいな感じだったのかなぁとこの時は想像していた。

     

     

    ■祖父が歩いただろう道のり

    出生地が判明し村役場跡も分かっているので、

    googleでルート検索をしてみる。

     

    当時とは道路も違うし、元々のあった道ではないかも知れないけど、

    村役場までは徒歩20分の距離。

    周囲には田圃が多いので畦道を祖父は歩いたんだろうと想像できる。

     

    どんな気持ちで歩いたんだろうか…婆ちゃんも一緒に行ったのか…

    何かのついでだったのか…出生届けだけで村役場方面に行ったのか…

    誰かの車に乗せてもらったのか…バイクだったのか…

     

    そんな事は分からないし知ってる人がいるとは思えないけど、

    肝心な伯父さんの記憶はやはりない。

     

     

    ■訪れようと決める。

    住所が判明してもしなくても、高梁市には行く予定やし

    村役場跡くらい見ようと思ってたので有漢町には訪れる気ではいたけど、

    現住所が判明しそこに今住んでる方がいるので迷惑を省みず、

    何か当時の事を知るヒントになればと訪れてみようと思う。

     

    無視されて当然。「知るかボケ」と言われて当然。

    それでも婆ちゃんの足跡を少しでも知れたら…。

     

     

    今日はここまで。次回は大分のお話。では。

    60年前の住所…あっさり

    2018.10.27 Saturday

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      うちのFAMILY HISTORY前回の続き

       

      戸籍の古い住所が市町村合併後の現在の住所と違う!ってところまで書きました。

       

       

      ■難しくさせた物

      最初に結論を言うと…

      岡山県上房郡有漢村の番地までの現住所は物凄くあっさり判明した。

      ただそこに辿りつくまでに2日も要し考えぬいた結果、灯台下暗しでした。

       

      憶測ではあるが、市役所や町役場に問い合わせればすぐ教えてくれると思う。

      ネットで調べたら現在の町名くらいはすぐに分かる。

       

      現に【上房郡有漢村】と検索すればWikipedeliaが検索にひっかかり、

      村の歴史から合併した年月、どこに編成されたかすぐに分かる。

       

      この”すぐに分かる”に味をしめネットで探ろうとしてし、

      中途半端な情報のまま進み難しくさせたんだろうと思う。

       

       

      ■昔の地図から

      「ネットですぐに調べられる」と思い込んだ僕はネットから抜け出せずにいた。

      【岡山 昔 地図】【岡山 昭和30年地図】【昔 地図】【有漢村 旧住所】

      考えられるワードで検索するも有漢村の地図なんて出てこない…。

      昔の岡山市内の地図が出てきても見つけられる訳も無く暗礁に乗り上げる。

      またこの時、幼少を過ごした大分県も同時進行で探ろうとしていたので、

      どっち着かずになっていた感はある。

       

       

      ■謎の住所変換サイト

      地図から探すのを諦め昔の住所を現在の住所に変換する術は無いかを探り、

      まさに旧住所を現在の住所に変換してくれるサイトを発見し早速やってみる。

       

      これまた大分編の時に書くけど、結局このサイトが示す現住所が、

      全く当てにならないと気づきこの方法での検索を断念。

       

       

      ■救世主 NPO法人 夢風車うかん

      この段階で現住所について分かっていたのは、

      有漢村が現在の【岡山県高梁市有漢町】って事。

       

      これを見てる人は「電話すりゃ良いやん」と思うだろうし、

      僕自身役場に電話すればすぐに判明したと改めて思う。

       

      結局ネットで現住所が分からぬまま【有漢村】で色々調べていたら、

      NPO法人 夢風車うかんなるサイトに流れ着く。

      閲覧してみると有漢町の紹介やイベントの催しや歴史について触れている。

       

      何か分かるかも!と思い恥を忍んで電話。

       

      女性の方が物凄く丁寧に応対して下さり、知りたかった村役場跡が判明するも

      出生地の現住住所までは分からず…。それでも村役場跡が分かっただけでも御の字。

       

      そして言われたのが「町役場に聞いてみては?」と…

      思わず「あっ」て言った程、こんな単純な事に今まで気づかず…。

       

      早速、町役場に電話。そして言われたのは…

       

      「高梁市になったけど、村を町に変えるだけで番地は一緒ですよ」

       

       

      ・・・・・・マジか・・・・・・・・。

       

      ってことは【有漢○○番地】を【有漢○○番地】にするだけ。

      この二日間はなんだったんだろうか…。

       

      その後村役場跡の場所を改めて確認し、何故祖父母が岡山にいたのかのヒントになりうる、

      昭和30年代に村が栄えた物、産業・産物を聞き電話を切る。

       

      改めて、この間の無駄な行動に恥ずかしくも情けなくもなりつつ今回はここまで。

       

      次回恥ずかしさから立ち直ってたら会いましょう。では。

      久し振りに、うちのFAMILY HISTORY

      2018.10.22 Monday

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        2016年5月に母方の祖母を、2016年の夏に父方の祖先を辿って、

        中途半端な結論でモヤっとさせましたが…。

         

        今回もモヤっとさせる全くもって興味がないだろうお話。

         

        オカンのルーツ、ひいては大好きだった婆ちゃんの足跡を少し辿るお話。

         

        直接婆ちゃんから昔話は聞いた事も無かったし、

        「祖先は戦国武将」って小さい頃に聞いたくらいで今まで全く知らんかった。

         

         

         

        ■今までオカンは大分県で生まれ大阪育ちと思ってた。

        これまでオカンから聞いた事があったのは…

        ・大分県の海の近くで幼少の頃過ごした事。

        ・大阪に越してきて離縁阪に越してきた事。

        ・高槻のメーカーで婆ちゃんが働いてた事。

        ・大阪市内の高校に通った事。

        ・門真市に住んで近所の喫茶店でバイトした事。

         

        これくらいw

         

         

        ■岡山生まれだと聞かされる。

        たまたまの偶然ではあるんやけど…。

         

        実家で「週末、男はつらいよロケ地巡りで岡山県高梁市に行く」と告げたところ、

        オカンから「生まれは岡山やで」と聞かされ場所を聞くと【岡山県上房郡有漢村】

        現在は市町村合併で消滅し、どこになるのかは全く知らないし記憶にもないとの事。

         

        出生は有漢村で2,3歳までしか住んでおらず大分県に引っ越して保育園に通ったらしい。

        その後、大阪に引越し小・中・高校と通い現在に至る。

         

        もう60年以上も前のお話、しかも3歳くらいなら記憶がないのは当たり前。

        戸籍に【出生地】【届出日】【届出人】が記載されていて詳細な住所が発覚し、

        消滅した市町村がどこか気になったので調べてると現在の高梁市

        これまたなんと言う偶然…。何か運命めいたものを勝手に感じてしまう。。

         

        地図で確認するとロケ地から20分ほどの距離。これは行くしかない。

         

        もちろん当時の事なんて知っている人もツテもある訳は無く…。

        徳島に実家がある婆ちゃんが、何故岡山の山奥にいたのかも知るすべもない。

        けど確かにそこでオカンは生まれ、婆ちゃんが住んでたのは間違いない。

         

         

        ■古い住所と現在住所の相違

        日本と台湾ら数国にしかない戸籍制度。

        今まで特に気にしなかったけど何気に凄い制度だなぁと今回認識させられる。

         

        今度書く予定のオカンの大分時代の記憶。

        僕は会った事のない祖父の田舎で暮らしてたらしいけど、

        それも戸籍には市町村合併前の住所が記載され大まかな場所も特定できる。

        その気になれば、オカンの従妹であろう人物を探る事ができる。

         

        だからと言って何かをする訳でもないし考え方によっては恐ろしいけど、

        自分のルーツを知ると言う意味では本当に素晴らしい制度だと思う。

         

        で、話を戻すと…

         

        戸籍からオカンの生まれた住所は判明。

        会った事ない祖父、即ちオカンの父が出生届けを昭和30年1月村役場提出。

        当時の村長さんが受理している。

         

        僕が気になるのは、

        オカンが生まれた場所=婆ちゃんが住んでた場所。

        祖父が出生届を提出した村役場跡と向かった道のり。

         

        やはり【大分の祖父、徳島の祖母がなぜ岡山の山奥に?】

        これが一番知りたいけどやはり知る術は無い。

         

        オカンも伯父さんも口を揃えて言うのは、

        「離縁する前の極貧で間借りして住んでた時代だから祖母も一切話さなかった」

         

        当時を知るオカン以外の生存者、

        当時5歳くらいだった伯父さんの記憶は殆どなく「川の近くに住んでた気が…」くらい。

         

        やはり戸籍に書いている住所だけが頼りになるけど、

        市町村合併で今とは変わっていて分厚い壁にぶち当たる。

         

         

        今回はここまで。

        また次回気が向いたら会いましょう。では。

        1705kmその10.5 〜函館幕末編〜

        2018.09.04 Tuesday

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          では早速。

           

          【旧イギリス領事館】と【ペリー広場】の目と鼻の先にあるのが

           

          【箱館奉行所跡】

           

          ペリー提督が函館に来航したのが1854年4月。

          その約50年前に幕府の役所としてこの場所に設置。

           

          1864年に五稜郭の完成と共に五稜郭内に移転。

           

          【五稜郭】

          五稜郭の真ん中付近にある建物が復元された

          【函館奉行所】

           

          当時使われた材料などを忠実に再現し復元された建物は圧巻。

          もちろん中も見たけど、なんでしょ物凄く綺麗で木造なのに、

          少々の事ではびくともしないドッシリ感。素晴らしいの一言。

           

          入館料500円くらいだけど十分支払う価値ありの施設♪

           

           

          話を戻して。

           

          函館奉行所の移転、五稜郭の完成が1864年旧暦6月15日

          その10日前の同6月5日に京都では新撰組が名を上げる池田屋事件が勃発。

           

          この二つを結ぶ人物が新撰組副長の土方歳三。

           

          五稜郭完成と池田屋事件からたった5年。

          旧幕府軍として蝦夷地に渡り箱館戦争で新政府軍に抵抗を見せるも銃弾に倒れる。

           

          【土方歳三最期の地】

           

          1864年

          池田屋事件では幕府の命で、近藤勇らと隊を率いて大暴れし、

          もっと活躍し近藤を出世させようと奮闘。

           

          1867年

          6月 京での活躍が認められ幕臣に取り立てられた矢先。

          10月 大政奉還

           

          そこから一気に状況が変わり、新政府軍に実権を握られた後今度は賊軍となる。

           

          1868年

          鳥羽・伏見の戦いが開戦し戊辰戦争で旧幕府軍が劣性のなか、

          甲陽鎮部隊として甲斐国に赴くも近藤が捕まり嘆願虚しく同年4月に斬首。

           

          間もなく江戸無血開城がなされると江戸を脱出、仙台で榎本武揚らと合流し蝦夷へ。

           

           

          こう見るとたった5年の出来事でいかに激動の時代の中を駆け抜けたかが分かる。

           

          若干、違うかも知れないけどf^^;

           

           

          五稜郭、土方歳三ときて忘れてならないのは…

           

          【榎本武揚像】

          函館駅方面から五稜郭に向かう途中にある梁川公園内にある胸像。

           

           

          僕の勝手なイメージで言うと…

          大久保利通と同じで小ズルいイメージがある歴史上の人物なので好きではない。

           

          旧幕府軍を率いて蝦夷共和国の総裁になり新政府軍と戦って敗戦したにも関わらず、

          何故か土方歳三の死から39年後の1908年明治41年まで生き延びただけではなく、

          明治政府の要職を歴任した人物。

           

          敗戦したからと言って死ぬ事が美徳とは言わないけれど…

          蝦夷共和国の閣僚8人いたうち、箱館戦争で死んだのは土方歳三だけ。

           

          何か好きになれない人物なのです。

           

          前日のタクシーツアーの運転手さんから聞いた、

          伊能忠敬の弟子であり函館に訪れたであろう父・榎本武規が

          抱いた蝦夷地開拓の夢を武揚が引き継いだと言われれば、

          少し好きにはなったけど…それでも…ねw

           

          なのでこれ以上深堀しません。

           

          もっと幕末・明治にかけての縁の地が沢山あるだろうけど、

          短い時間で駆け足で廻った函館幕末編でございました。

           

           

          最後に五稜郭タワーの1階と展望台にあった土方歳三像でお別れ。

           

           

          では。

          ようやく?

          2018.01.25 Thursday

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            20日くらい経ったので何を書こうか忘れたけど…。

             

            東京散策 史跡巡りのお話。

             

            前回は勝海舟生誕の地”ついで”に行ったところのお話指

             

            今回も急に決めたっちゃ決めた。大体この年明け東京旅行自体が急笑顔

             

            柴又巡りの翌日。

            九段下に行きたかったのと、その後の最終目的地が新宿と言う事もあり、

            赤坂方面から回ろうか、東京方面から回るかで悩んだ挙句、

            パワースポットとされている首塚に行こうと言う事で東京回りを決定。

             

            とりあえず写真

             

            左が入口。右が慰霊碑。

            他人様が映ってない画が欲しかってんけど中々人が絶えなかったので土下座

             

            平将門が京都で処刑され、晒された首がこの地まで飛んできたと言う伝説があり、

            工事で取り壊そうとして関係者が亡くなったりと数々のエピソードがある場所。

            まぁ詳しくはWikipedeiaを見てちょーだい。

             

            ここも昔から行こうと思いつつ…って東京にはそう思って行って無い所が多い汗

            と思いつつ他も考えてみると京都なんて殆ど散策していない気がする汗

             

            と、年明け早々パワースポットに行ったしお御籤も大吉やったし縁起が良いねグー

             

             

            で、その前に寄ったのがこないだの東京駅

             

            さらにその前が↓↓

             

             

            東京駅の八重洲口から徒歩7,8分?にある【千葉定吉道場跡】

             

            簡単に言うと坂本龍馬が北辰一刀流の修行するのにお世話になった道場。

            目と鼻の先に土佐藩上屋敷(現:国際フォーラム)があったし近場っちゃ近場。

             

            漫画『るろうに剣心』の神谷薫が、定吉の長女で坂本龍馬の恋人とされた千葉佐奈が

            モデルと言われているので自動的に【神谷道場】のモデルとなった場所とでも言いましょうか?

             

            まぁ作者の和月氏が神谷道場の場所は文京区本郷あたりって発言をしてるので、

            この千葉定吉道場がモデルなのかは僕の妄想。

             

            文京区本郷って言うと東京ドームの近くなので…ここからだと電車で20分。

            まぁ場所=モデルではないから、薫殿のモデルが千葉佐奈ならやはり定吉道場がモデルでしょ?

             

             

            えーと僕の中で千葉定吉のイメージは・・

            1996年コメディドラマ『竜馬におまかせ』で演じた伊東四朗のコミカルな感じ。

             

            実際は江戸三大道場の一つ、玄武館の創始者の千葉周作を兄に持つ剣術家。

            そう考えると1997年のスペシャルドラマ『竜馬がゆく』の松本幸四郎がイメージかなw

             

            福山雅治主演の『龍馬伝』では里見幸太郎が演じておりましたか…。

            『水戸黄門』で長らく水戸光圀公、黄門様を5代目に演じたお方。

            今なら『リーガル・ハイ』の古美門事務所の服部役の方が分かり易いかw

             

             

             

            散らかりはじめたのでこの辺りで締めますが…

             

             

            今回、史跡を改めて調べていたら東京都内だけでも1,2日じゃ行ききれないね。。

            明治維新後重要な赤坂周辺もまだ行ってないし。。

             

            そう思うと次回東京行く楽しみが増えて仕方が無いし住んでる時に…と改めて後悔。

             

            近いし…とか、

            いつでも…とか、

            って考えはやはり長い目で見れは損害でしかないな。

             

            そんな事を再度学んだ東京散策 史跡巡りの話しはこれで終わり。

             

            ではバイバイ

            ついでと言えば失礼やけど。。

            2018.01.18 Thursday

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              東京が便利やなぁと思えるところの一つとして、

              あらゆるところに周辺地図がある。

               

              まぁスマホでみりゃ良いんやけど・・・より細かい事が記載されている。

               

              さすがにこのご時世、個人宅までは記載されていないけど、

              自分が行きたい史跡だったりが載っているので僕は重宝しているし、

              近くの史跡を発見できるからなお良い

               

              ネットやとピンポイントで検索するのは早いけど、

              その分、幅は狭くなる様な気がするし実際そうやと思っている。

               

              今回はその周辺地図で発見した史跡を駆け足で…。

               

              まず…前回の『勝海舟 生誕の地』と目の鼻の先にあった

               

              ■吉良上野介屋敷跡

               

               

              赤穂浪士四十七士が討ち入りをしたのがまさにこの場所!!!

              と、言いながら全く興味が無いので画像だけ…。

               

              ここと勝海舟生誕の地の間にあるのが…

               

              ■芥川龍之介 文学碑

               

              何か少年期から青年期を過ごしたらしいです。

              『蜘蛛の糸』とか『羅生門』とか…

              文学とは無縁なもんで画像すらございません汗

               

               

              両国から場所を移して…武道館のある九段下にあるのは…

               

               

              ■アーネスト・サトウゆかりの武田邸跡

               

               

              幕末・明治時代に通訳・大使などで活躍したイギリス人の邸宅跡。

              法政大学関連施設に石碑だけたってる。

               

              少しがっかりはしたけど、詳しく知りたい場合は下関の旧英国領事館って

              立派な建物があるのでそっちの方が良いかな汗

               

              そこから徒歩十分くらい、武道館・千鳥ヶ淵にあるのが、

              大河ドラマ『西郷どん』終盤で重要な人物になるであろう、

               

              ■山縣有朋邸庭園跡

              第三代、九代の総理大臣で長州藩士。松下村塾塾生・騎兵隊。

              それくらいしか知らず…幕末と言うか明治維新後に活躍したイメージ。

               

              農林水産省管轄の敷地内にあると思われ写真は撮れず…。

               

              正直そこまで興味が無いけど・・・

              上に書いた様に『西郷どん』で重要な役割を果たすと安易に予想されるので寄ってみた。

               

              で、庭園跡側、千鳥ヶ淵から見た武道館↓

               

              中央に玉ねぎが見えてるでしょww

               

              ↓は反対側から見た逆光の武道館。

               

               

              まぁそんな感じの九段下周辺の史跡巡りの話しでした。ではバイバイ

              久し振りに史跡巡り。

              2018.01.16 Tuesday

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                こう言う形で散策するのはいつ振りやったかな…

                 

                調べてみると・・・

                 

                2016年2月に東京で訪れてるけど偶然と言うか、そない興味ないので、

                更に遡ってみると2014年6月に久能山東照宮の家康のお墓。

                これも自らの意思で言った訳でもないのでさらに遡る…。

                2012年2月に高知県土佐清水市のジョン・万次郎像を訪れてる。

                けどこれも史跡かと言うと少し違うのでまだまだ遡る。

                同じく2012年2月に旧岩崎庭園を訪れてるからこれ振りかなぁ。

                 

                と、言うか自分が求めていたものが中々出てこないから遡ってみたけど、

                疲れたので言うと【生誕の地】を訪れた所を見つけたかったの…汗

                 

                んで何故かと言うと…念願の【勝海舟 生誕の地】を訪れたからピース

                 

                blog上で確認できたのは2011年11月の高杉晋作木戸孝充やね。

                7年も前か…全然散策してなかったねぇw

                 

                と、言うか幕末にしか興味が無いのでこんな感じですなぁ。

                 

                これまでに生誕地で行ったのは…

                 

                坂本龍馬は勿論、山内容堂後藤象二郎板垣退助岩崎弥太郎・中岡慎太郎・

                近藤勇西郷隆盛大久保利通

                 

                 

                生誕地とは違うけど…

                松下村塾跡グラバー庭園武市半平太邸宅跡徳川慶喜終焉の地岡田以蔵の墓

                旧英国領事館跡(下関)亀山社中跡・寺田屋・近江屋跡など。

                 

                龍馬からの派生やから有名どころしか訪れてないなぁ。。。

                 

                と、言うか龍馬、慎太郎生誕地と寺田や近江屋跡はblogに無かったなぁ汗

                 

                あっ勝海舟のお話。

                東京に住んでる当時から行こうと思いつつ、

                両国に行く事が無かったので放置してたところです。

                 

                何をした人かと言うと…ウィキペディアを見てちょーだい笑顔

                 

                色んな人がドラマで映画で演じたけど僕が観た限りでは

                大河ドラマ『新撰組!!』での野田秀樹とドラマ『JIN -仁-』での小日向文世が好き。

                 

                『龍馬伝』の武田鉄也も嫌いではないけど、勝海舟のイメージではないのでw

                 

                少しそれたけど…とりあえず画像だけ。

                 

                 

                両国公園の敷地内の一角にある生誕地のコーナー。

                年表とかあってそれなりに勉強できる横で子供らがボール遊びをしている。

                その横で一人写真を撮ってる僕顔顔顔

                 

                まだまだ探せばマニアックなところも東京にはあろうから、

                次回上京した時は訪れたいね。

                 

                とりあえず以上。ではバイバイ

                龍馬の言葉。

                2017.02.24 Friday

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                  久し振りに坂本龍馬の話。と言うか残したと思われる名言で好きな言葉を一つ。

                   

                   

                  【時勢に応じて自分を変革しろ】

                   

                   

                  簡単に言うと臨機応変てな感じかいな?

                   

                  年代が変われば流れも変わるし、やり方で合わなくなっていく、

                  それを見極めて、そこに自分を合わす努力をしないと…とは常に思うよね。

                   

                  たまに「あの人は変わった」的な批判めいた言葉を耳にするけど、

                  どう変わったかにもよるし、それは置いておいて僕に褒め言葉と受け止める。

                   

                  むしろこれを言う人間こそが「変われない」言葉を置き換えると成長しない人。

                  と、言える。

                  他人の事を偉そうに言う前に自分の言動を省みないとね。

                  全ての原因は自らにあると俺は考えるから、皆互いにそう思えれば良いのにね。

                  置かれた状況・処遇すべては自ら発した事が原因と早くに気付くべき。

                  僕はいつも書く様に23,4歳の時にひー様と出会えた事が大きく変えた。

                   

                   

                  勿論、変えてはいけないモノや変えられないモノがある事も承知。

                  その中で、時々に合わせた感覚を持ち続けたいと強く思うし、

                  そうじゃない人とは関わらん様にしているし自然と同じ様な人が残るよね。

                   

                  変えなかったから15年続いてるとも言えるし、変わったから15年続いてるとも言える。

                   

                  こうなってくるとあとは結果で判断するしかない。

                   

                   

                  この言葉とセットで大事にしているのは、昔blogに書いたかな?

                   

                  【鳥の目・魚の目・虫の目】

                   

                  詳細は省くけど、この3つの目を常に開いて備えないと、

                  変化に対応できないし、自ら変える事も出来ない。

                  結局は他人に左右される生活しか送れない気がする。

                   

                   

                  なーんて、キャラに無い事をそれっぽい事を書いてみました。

                   

                  ではバイバイ

                  まとめると・・・。

                  2016.07.30 Saturday

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                    さーて。
                    全ての祖先の血筋をまとめ分析した俺は・・・。


                    戦国武将と超有名な将軍家に仕えた家臣、
                    さらに江戸・明治を代表する浮世絵師の血が混ざっており、
                    それぞれ凄い人たちの血が、俺が俺がと手を挙げるものの
                    ダチョウ倶楽部みたく「どうぞどうぞ」と遠慮し合って、
                    その隙に「じゃ俺が」と言わんばかりに岡山の山奥の留五郎が
                    出てきてその血を一番濃く受け継いだ平々凡々と暮らす一般人。


                    このシリーズ通して共通するのは俺って惜しいよね。

                    しかし祖先があっての今なのでやはり感謝はしないとね。




                    父方の祖母の方の家系図には名前の横に注釈が書いてあって、
                    いつ何をした人とか、どう言う人物だったかを書いてあったんやけど、
                    家系図の俺の注釈には・・・・・


                    1983年生〜2100年没

                    何か惜しかった生涯。


                    と記載してもらおう(笑)



                    かなりの時代を遡り、時間をかけたこのシリーズの最後を締めくくる言葉が


                    何か惜しい。



                    祖先に怒られるわびっくり


                    他人からしたら物凄くどうでも良い関係の無い事なんやけど、
                    久し振りに深く調べた達成感が今回はある(笑)

                    他に労力を使わないといけないんやけど、誰が入っているからわからずに
                    お墓参りするより想いながら手を合わせた方がより良い気がして、
                    何か清々しい気持ちになった。ってのが今回のまとめ。

                    物凄く楽しかった(笑)



                    最後に浮世絵師の芸術的センスの血が流れている僕が、
                    昔ペイントで書いた『ヨーダ』と『ジャイアント馬場』の絵でお別れです。

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     


                     

                     

                     


                    やっぱり留五郎さんの血筋やね(笑)

                    ではまたバイバイ

                    家臣なのか過信なのか

                    2016.07.24 Sunday

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                      父方の祖母側のFAMILY HISTORY続きの続き。

                      『雲孫』って読めました?うんそんって読むみたいですよ!

                      32年間生きてきて初めて見た単語です(笑)

                      周りの人が「俺○○の雲孫やねん」とか「あの芸能人は○○の雲孫やで」とか
                      言わないところをみると、声を大にして「関係ねーーーーー」と言える。

                      繰り返しにはなるけど、僕自身「だから?」って本当に思っております。
                      歴史好きと凝り性って事だけで調べております。


                      さて前回祖母の一人の祖先はわかりました。

                      もう一人の方の武士と言われている方。

                      祖先に大変失礼なんやけど、個人的にはこちらの方が気になる。

                      江戸時代に生きた武士であること、ネット検索をしても出てこない点、
                      信憑性も含めて大変興味深い。

                      武士とは言えども、何千人、何万人ともいたやろうし、後世に名を残した武士などごく一部。
                      ただ気になるのが『家臣』のキーワード。やはり何が何でも調べたい(笑)

                      ネットに出てこないと言う事は・・・・また関連の博物館に頼るしかないのか・・・・。


                      続く・・・・バイバイ