忘れてたどうでも良い謎。 旧有漢村

2018.12.29 Saturday

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    もう一つ旧有漢村地区の出生地を訪れるにあたって訪問したかった場所。

    戸籍に書いてあった出生届を提出した場所。

     

    【有漢村役場跡】

    ここも訪れてみた。

     

    届出人には伯父・オカンとも祖父の名前が記載してある。

     

    合併後しばらくは町役場として使われ現在は廃墟になり、

    村時代の建物ではないらしいけど立地は同じところ。

     

     

    旧村役場跡の前の道

    67,8年前と64,5年前とは違う景色だろうけど

    祖父はどんな気持ちでここまで来たんやろうか…。

    車で10分も満たない距離、徒歩なら40分程の距離にあった村役場。

     

    二枚目右端に写っているのは付き合わされた相棒君f^^;

     

     

    話を戻して…どうでも良い。って言うと失礼やけど…ついでに、

    今回の旧有漢村・ルーツの旅では役に立たなかった…w

    伯父さんの記憶『米付水車に砂を入れて大問題』

     

    これは残念ながら、色々お話聞かせて頂いたお婆さんに聞かなかったけど、

    オカンと伯父に出生地の水で作ったお酒を買って帰ろうと立ち寄った酒蔵。

     

    ここの女将さんに米付水車を聞いたら「昔は小学校近くにあった」とは仰ったけど、

    よくよく考えたら日本全国どこの田圃の近くにでもありそうな気がするからどうでも良いw

     

    そんな事を聞いたからか、女将さんが「映画バッテリーのロケで使われた」と言い出し、

    主演の林遣都のデビュー作って事と、その時の写真やサインやら見せて頂き30分…。

     

    予定時間をかなりオーバーしてロケ地巡り、次の目的地の中国勝山を目指し

    婆ちゃんのルーツ旅を終える…。

     

     

     

     

     

    後日談として…

    伯父に報告とお土産を渡すために会いに行った。

    考えてみれば婆ちゃんの納骨以来振りに会う。

    って事は6,7年振りの伯父は相変わらず元気そうでよう喋る。

     

    旧有漢村の住んでた場所、灯篭の写真と

    お婆さんに聞いた当時の様子を報告すると

     

    少し涙ぐんで「ありがとうなぁ。ご苦労さんやったなぁ」と…

     

    さらに…

     

     

    「全く覚えてないわ。こんな感じな気もする」と…

     

     

    渡した一升瓶で殴ってやろうかと思ったw

     

     

    多分、覚えてない事はないんだろうけど…

    伯父にとって記憶の中の有漢村は良い記憶ではなく、

    婆ちゃん以上に蒸し返して欲しくなかったのかも知れないなぁ。

     

    「蒸し返してごめんよ」と言って伯父と別れましたとさ。

     

    以上、10月のある日の出来事のお話。。

    謎は全て…とは言わんけど解けた。 旧有漢村

    2018.12.28 Friday

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      母の戸籍謄本に記載されていた65,6年前の住所と、

      古い写真を頼りに訪れたのが前回

       

      今回で完結するかな…f^^;

       

       

      古い写真に写っていた灯篭を見に集会所へ移動。

       

      形や丁寧に教えて頂いた奥様のお話からしてほぼこれが

      63,4年前1〜2,3歳のオカンと写っている灯篭で間違いない。

      残念ながら記憶のない伯父もこれに登ったりして遊んだのかなぁって思うと感慨深い。

       

      写真を数枚撮り、一先ずオカンに住んでた場所の”画像だけ”を送り、

      先ほど教えて頂いた昔の事を知っているお婆さんがいる家付近を目指した。

       

       

      前回の出生地から直線距離にして数十メートルやけど、

      川があり橋もないのでぐるっと回っての距離。それでも数分。

      ありきたりの表現で申し訳ないけど、物凄く遠く感じた距離。

       

      車を少し遠くに止め徒歩で向かうと、一人の男性が立っておられこっちを見ている。

      僕の後ろには田圃と山しかないから不気味やなぁと思い…。

       

      それでも「こんなところに知らん奴」の僕の方が相手からしたら不気味か…

      なんて自分で突っ込みながら教えてもらった”黒い屋根”のおうちを探していると、

      その男性が「奈良から来た人?」と話かけてきたので

      「はい」と返事をすると「こっちこっち」と案内をして下さった。

       

      案内して下さった家の軒先にお婆さんが座っておられ、

      「ふーちゃんの孫かい?」と…

       

      (ふーちゃん?誰やそれ)と内心思いつつ祖母の名前と経緯を説明した。

       

      するとお婆さんが懐かしそうに昔の話をして下さった…。

       

       

      このあたりで…次回に持ち越そうかな…

       

       

      ちょっと長くなるけど最後までいきましょうかw

       

      もう少しお付き合い下さい。

       

       

      お婆さんの話をまとめると

       

      昔、修験者?としてふーちゃんの夫(僕の祖父)が呼ばれて、地域で家を用意し一家で住んでいた。

      護摩行をしたり年始のお祈りや節目ごとに祖父が各家庭を廻っていた。

       

      その妻として有漢の生活にも馴染み、皆は祖母を”ふーちゃん”と呼び、

      日本舞踊をしていた祖母に盆踊りの振付や踊りの教えを乞うて慕っていた。との事。

       

       

      オカンも伯父も知らなった事実…祖父の当時の生業…山伏。

      そして最も重要だと思われる事実…悪い印象は無く生活に馴染んでいた…。

       

      お婆さんは時折涙ぐんで

      「まさかふーちゃんの話がまた出来るとは…ふーちゃんのお孫さんに会えるとは…」

      と言い色んな話をして下さった。

       

       

      お婆さんの記憶を抜粋しまとめると、

      当時男の子が一人いたのは知っているけど、女の子が生まれたのは知らなかった。

      と、言う事はオカンが生まれて直ぐ有漢村を離れて淡路島→大分と引越ししたのか?

      そうすると写真直後に引っ越ししたのか、引っ越しするから写真を撮ったのか…。

       

       

      終戦間もなく色んな方が”ふーちゃん”を支援していた。

      少なからず祖母が有漢にいたのは1940年の後半から1952年頃まで。終戦から5年程の山奥の田舎。

      祈祷師・山伏の需要がどれくらいなのかは知らないけど、

      オカンも伯父も極貧だった。って記憶からある程度は想像出来る。

       

       

      前の家のお風呂

      ふーちゃんの家は住むことが目的ではなく、今で言う集会所の様な場所。

      お祭りとか祈祷するのが目的でお風呂がなった為、前の家のお風呂を借りていた。

      そこの奥さんが面倒見の良い方でよそから来て田畑を持っていないふーちゃんに、

      野菜をあげたりとか何かと面倒見てたのでは…。

      でもふーちゃんが例外ではなく、何もない時代だったから皆で協力し合っていた。

       

      このお婆さんのところへ訪れるキッカケとなった奥様の義母の方。

      僕が来るのがもう少し早ければその奥様からもっと詳しくお話が聞けたんだろうなぁ。

       

       

      毎日の様に祖母宅へ野菜を届けた人

      祖母が徳島出身と言う事もあり、同じ四国の高知出身の女性が、

      夕暮れ時になると、採れた野菜を籠に背負い川沿いを歩いて届けていたらしい。

       

      昔オカンが祖母から聞いた「岡山時代〇〇さんには世話になった」ってのは

      この方を差していたのかなぁ。その方も数年前に亡くなったみたいで、

      もし生きていて僕が来た事を知ったらその方も喜んだだろう。ってお婆さんが言ってくれた。

       

       

      いつの間にかいなくなってお別れも言えなかった。

      岡山に来た理由はほぼ分かったものの、岡山から引越しした理由は謎のまま。

       

      謎の多かった婆ちゃんらしくてこのままの方が良いのかもねw

       

       

      ふーちゃんのその後が気になっていた

      ひょっとすると、お風呂を借して下さった面倒見の良い奥さんは知っていたかも知れないけど、

      ふーちゃんに踊りを教えてもらった方々は理由も知らず、どうなったのか気にして下さってたみたい。

      夜逃げしたとも死んだとも別のとこに呼ばれたとも…当時色んな噂があったらしい。

       

      でも仕事柄借金とかで夜逃げする感じではなかったし、貧しいのは当時皆同じ。とそのお婆さん。

      多分、祈祷師・山伏として次のところに呼ばれて引越ししたのだろう。と…。

       

       

      今、ふーちゃんを知っているのは…

      旧有漢村で当時の祖母を知っていてお元気なのは残念ながらこのお婆さんくらいらしく、

      2,3名ご存命らしいけど、遠くの施設で認知症を患ったりで記憶がないとの事。

       

       

      しかしながら当初思い描いていた訪問予定から想像していなかった展開に感謝。

      今回このタイミングで訪れお話を聞けた事、何か説明が出来ない力があった気がしてならない。

       

      特に話を聞かせてもらったお婆さんが何度も何度も

      「またふーちゃんの話が出来る日がくるとは…」と仰って下さったのが印象的で、

      これまでオカンが思って僕に話していた祖母の若い頃に対する印象が180度変わった。

       

       

      いきなり現れた僕なんかにお話をして下さりしかも帰り際に

      「せっかく来たのだからご飯でも食べていき」と仰って下さるお人柄。

      祖母も当時は本当に周囲の方にお世話になり過ごしていたんだろうなぁ。と想像が出来る。

       

      ここまで到達できたのも、NPO法人や町役場の親切丁寧な対応。あとネットw

      心からの感謝しかない。

       

      天国の婆ちゃんは確実に「余計な事しやがって」とお怒りだろうと思いつつ、

      ここでの暮らしや周囲の方がいなければ僕は生まれていなかったかも知れない。

       

      なーんて大そうな事を考えると偶然とは言え、訪れたくなり話も聞いてみたくなった。

       

       

      そのお婆さんの話を終え、早速オカンに報告かねて電話。

       

      あれだけ「話は聞くな」と言ってたから怒るかと思いきや、

      特に怒らず、それ以前に知らなかった事実に驚き安堵していた様子。

       

      元々は僕自身が気になってクリアにしたかっただけなので、

      本音のところ”ついでに”オカンも喜んだならそれはそれで良かったw

       

       

      今回、長々と書いた割には少しの謎は残し「100%分かった」とは言えないが、

      僕の中での達成感・充実感はある。

       

      次は、オカンが行きたいと言っている大分…。

      有漢に比べると僕は大分に関しての熱量は低いんやけどなf^^;

       

      まぁそんな感じです。

      お付き合いありがとうございました。

       

      ではヽ(^。^)ノ

      呼ばれた謎はどこかへ 旧有漢村

      2018.12.27 Thursday

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        約1ヵ月間空きましたがf^^;

         

        うちのFAMILY HISTORY有漢訪問編の続き。と言うかメインで完結編w

         

        改めて経緯は【男はつらいよ ロケ地巡り】で「岡山に行く」とオカンに告げたところ、

        「私岡山生まれやで」と初めて聞かされ、それが訪問予定の高梁市に改編され同じだった。

        そんな偶然から色々調べたのが始まり。

         

        それが無かったらここまで調べてもないし、訪れたか…訪れてはない。

         

         

        10月21日、いや20日の晩から岡山県総社市に向けて走り車中泊。

        旧国分寺を訪れ、高梁市に入り昼過ぎまでロケ地巡り。

         

        旧有漢村に到着したのは13時前。

         

        早速、戸籍の出生地である現住所を訪れてみた。

        この日の朝もオカンから「絶対に誰かに話聞いたらアカンで」とLINEが来た。

        ここまで言われたらダチョウ倶楽部の「押すなよ」にしか聞こえないのが本音。

         

        でもオカンは幼少の頃の記憶で父母(僕の祖父母)が転々としていた事実から、

        村八分ではないけど周りに迷惑をかけ良い印象を持ってる人がいない。と思っている。

         

        そう思うと確かに聞きたくない。知らなくても良い事実だろうから、

        僕は聞くつもりではいたけど、内容によって報告するかしないかを決めようと考えていた。

         

        ただ大好きだった祖母を悪く言われるのは僕も嫌なので内心はビビりまくり。

         

         

        あ、やっぱり今回で完結しませんf^^;

         

         

         

        出生地の現住所にはポツリと一件、大きなお屋敷とその横には工務店?木材所?

        らしき建物があり、資材やらが置いてあった。

         

        「聞く!」と決心していたものの、インターホンを押すか押すまいか悩みながら、

        車を降りて歩いていたら玄関先で作業をされている女性が一人。

         

        旅の恥はかき捨て。と言わんばかりに勢いで話しかけたら、

         

        元々の住所から言えば確かにここが現住所になると仰ったが、

        嫁いでこられた40年前の事はわかっても60年前となると分からない。

        が、義母から「昔、うちの前に住んでた方がいて良くうちにきた」と聞いた。と

         

         

        ここでオカンから預かった7枚の写真を見せて、どこかを尋ねたら

         

        「うーん」と言いながら写真を手にして僕が来た反対方向へ歩き出した。

         

        ↓が実際の残された古い写真。

        写真を撮ったものなので分かりにくいですがf^^;

         

         

        その写真を見ながら奥様は「多分ここ」と教えて下さった。

         

         

        んー似てると言われれば似てるなぁって程度。

         

        伯父が言っていた「川の近くに住んでいた」に合致するであろう、

        ↑の横には川も流れていた。

         

         

        気になるのは古い写真に写っている灯篭?って言うのかな?それ。

        その事も奥様に聞いてみた。

         

         

        「昔ここにあった灯篭は集会所前に移設してそこにあるものと一緒かな?」

        と言いながら遠いところを指さし、集会所を指さした。

         

        確かに遠くに見える民家とは様相が違う建物の前には灯篭みたいない物が見える。

        僕でも敷地に入れるかを確認し後で見に行こうと決める。

         

         

        写真を見たまま考え込む奥様が、

        「ひょっとしたら裏のお婆さんが何か知ってるかも…ちょっと待ってね」

        家の中に入り数分後…

         

        今度は集会所とは反対の方向を指さし、

        「あそこに見える黒い屋根の家に90歳くらいのお婆さんがいて、

         60年前の事を覚えているから聞いてみたら何か分かるかも。

         今家にいるから行っておいで。多分その人くらいしか昔の事知っている人はいない」

         

         

        何て良い人なんだろうか…

        いきなり「オカンの生まれた場所ここ」と古い写真を持って現れた僕に対し、

        親身になって話を聞いてもらいしかも協力までして頂いた。

         

        想像した展開と良い意味で違い過ぎてさらにテンションの上がった僕は、

        御礼を言い集会所に寄った後、そのお婆さんの家に向かう事に…。

         

        今回はここまで。

         

        次回で完結編するかなf^^;

         

        もう少しお付き合い下さいませ。では。m(_ _)m

        謎が謎を呼ぶ。旧有漢村

        2018.11.28 Wednesday

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          オカンの出生地である岡山県の旧有漢村に訪れる経緯を長々と書いたけど

          今回は有漢村に訪れた話の前振りw

           

           

          オカンと伯父の話を聞いて疑問に思ったお話。

           

          徳島生まれの祖母と大分生まれの祖父が

          どこで出会って、なぜ岡山で二人の子供を産んで一旦祖父の田舎に戻り…

          正確には間に淡路島に一瞬いたそうな。そこから大分、徳島、大阪と転々としていたのか。

           

          婆ちゃん子だった割には何も知らず聞いた事が無い。

          唯一「あんたには戦国武将の血が流れてるんやで」の一言。

          これも昔調べ、その武将の博物館にも調べてもらったけど、

          分家の分家の分家、さらに分家からの養子に行ったくらいのレベルで調べられず。

           

          曾祖父、高祖父の戸籍を取れたら遡っていけるんやけど個人では限界がある。

           

          色々と謎が多い祖母。

           

          その足跡をほじくり返してやろう。ってのが今回の主旨。

          多分、生きていたら怒るだろうなぁと思いつつ突っ走ってみた。

           

           

          結論から言うと…

          祖父母の結婚の経緯は分からず。

          何故岡山か…転々としたかは少し分かった気が…。そんなところ。

           

           

          ■オカンの情報を整理すると…

          ・戸籍に書かれた出生の住所が有漢村。

          ・何故か番地末尾が伯父の7に対しオカンが8で1つ違い。

          ・古い写真が7枚だけ残っており有漢だと思われる。

           

           

          ■伯父の記憶を整理すると…

          ・川の近くに住んでた

          ・米突き水車にイタズラし大問題に。それが原因で岡山を離れた?

           

           

          ■両者の父である、僕の祖父の記憶に関しては…

          ・酒乱であった事(大阪での記憶)

          ・何の職業か分からないが、お参りみたいな事をしていた。

           

           

          ■両者が共通して言うのは

          ・父母(祖父母)の自由奔放な性格を考えると、問題を起こして住めず転々としたのでは?

          ・婆ちゃんが何も言わなかったのは、良い思い出・良い事が無かったのでは?

           

           

          これらを踏まえて、

          オカンは「訪れても良いが一切誰にも聞くな」と念を押してきた。

          「オッケ〜」と言いながら、せっかく出生地の現住所が判明しそこに住んでる方がいる。

          しかもたまたま岡山に行くタイミングでそれがわかった…

          「普通、聞くでしょ?」と心の中で呟き、訪れたのが10月21日のお話。

           

           

          今回はここまで。次回で終わる予定w

           

          ではヽ(^。^)ノ

          やんわりからはっきり

          2018.11.20 Tuesday

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            久し振りにうちのFAMILY HISTORY続き続き続きの続き。

             

            旧住所を住所変換サイトで調べた現住所の画像をオカンに見せ、

            なんともスッキリしない返答だったのが前回。

             

             

            ■恥を忍んで

            「ここと言われればここ、違うと言われれば違う」

            そう言われると、何の縁もない僕にとっては成す術がなくなる。

             

            ただ直感的に、ここではないんだろう。と思ったし、

            ここまでくると僕も気になって仕方がないので、

            微かに残る記憶「通っていた幼稚園がお寺だった」を信じて、

            住所変換サイトで検索した現住所近くのお寺に電話してみる事に…。

             

             

            ■駆け込み”寺”

            とりあえず気になり決めたら突っ走る傾向にある僕。

            頭の中を整理もせずに現住所と思われる近くにあった【泉慶寺】に電話。

             

            ご住職の奥様が応対して下さり、何を言って何を聞いたかも覚えてないくらい、

            僕のしどろもどろの説明と質問を必死に理解しようとして下さった。

             

            意味不明な質問を静かに聞いていた奥様が一言「当時の住所わかりますか」

             

            ……あf^^;

             

            シンプルに「この住所ってこの辺りですか?」と聞けば、5分くらいで済んだのかもw

             

            いや、でもいきなり電話して昔の住所から「ここってどこですか?」って聞くのも変。

            逆の立場なら、どこのどいつかも分からん奴に答える訳もないし「知りません」って切る。

             

            にも関わらず、奥様は物凄く親切・丁寧に細かく教えて下さり、

            残念ながらオカンが言ってた「幼稚園がお寺」に該当はしなかったけど、

            幼稚園を運営されているお寺を教えて下さった。

            しかも当時の住所から「そこで間違いない」との事で、

            そのお寺の電話番号を聞き御礼を言って通話終了。

             

            駆け込み寺とはよく言ったもので、今回この泉慶寺さんに救われた。

             

             

            ■ここかも…

            今度は頭の中を整理して泉慶寺さんに教えて頂いた番号に電話…

            夕方だったせいか繋がらず…翌日午前・午後と電話するも繋がらず…。

             

            とりあえずここで止まる訳にもいかないので、

            残念ながらお寺の前まではストリートビューではいけなかったものの、

            お寺のある路地の入り口・路地の反対側・お寺の近くの橋(整備され国道に)

            スクショしオカンに送信すると間髪入れずに…「この辺りかも」と前回とは少し違った返事がくる。

             

            ハッキリとした記憶がないだけに確定させる自信もないんだろうけど、

            前回とは違うニュアンスでの返事に変な感触はありもう少しストリートビューで散策。

             

            明らかに最近整備された橋をズームした奥、一段下がったところに古びた橋があり、

            お寺側からみたらその橋の先には個人商店らしき赤い屋根の建物も見える。

             

            ここのスクショも送ってはみるものの、ハッキリとここ!とは言わないどころか、

            最初の「ここと言われれば…」と煮え切らない返事に変わりこの日は断念…。

             

             

            ■ここ!

            翌日になり再度、泉慶寺に教えて頂いたお寺へ電話しようやく繋がり、

            こちらもご住職の奥様が応対して下さる。

             

            半ば”繋がらない”と思って電話したので、こっちがびっくりしたけど、

            精一杯怪しくない事をアピールしつつ事情を説明し要点を絞って伺ってみた。

             

            Q.60年前程に幼稚園をされていたか?

            A.当時も現在も幼稚園を運営している。

             

            Q.女性の園長か?

            A.今は違うが当時は義母が園長で今も生きている。

              が、認知症を患い当時の記憶が話せない。   

             

            Q.近くにアイスキャンディ屋さんはあるか?

            A.橋を渡ったところに通称「キャンディ屋さん」と呼ばれていた店があった。

              女主人であるお婆ちゃんはまだ生きておられ元気である。

              橋を渡った赤い屋根で間違いない。

             

             

            Q.近くで造船所、または船造りをしていたか?

            A.昔、盛んとは言わないが生業にしていた。と聞いた事がある。

             

            ここまではオカンの記憶とほぼ一致、と言うか記憶通り。

            最後に確信にせまる質問。

             

             

            Q.〇〇と言う人物が通っていた資料はあるか?

            A.1970年代に火事に遭い古い資料は消失し昔の写真が数枚程度で分からない。

             

            なぜ僕の人生ってこうも最後の最後で決めきらないのか…電話中でありながら、

            あからさまに落胆していたであろう僕に奥様が、こう続けた…。

             

             

             

            ってところで今回はここまで。

             

            イライラする続け方ですなwすみません。

             

            ではヽ(^。^)ノ

            すんなりとやんわり

            2018.11.17 Saturday

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              久し振りにうちのFAMILY HISTORY続き続きの続き。

               

               

              僕が聞かされていたオカンの幼少時代の話は大分時代から。

              ・海の近くでナマコを獲った。

              ・綺麗な海だった。

               

              この程度のお話。

               

              そして今回聞かされたのは…

              ・大分は祖父の田舎である事

              ・幼稚園まで大分にいた事

              ・その幼稚園はお寺であった事

              ・子供ながらにお寺と家が近いと思った事

              ・橋を渡ったお店でアイスキャンディを買ってもらった事

              ・曾祖父は船を造りに行ってた事

               

              そして終始悩ませてくれる昔の住所。

               

               

              ■こっちが気になる!

              一番初めに書いた様に、僕が高梁市に行くタイミングで、

              オカンが現在の高梁市生まれであると知ったのが何か偶然とは思えず、

              【有漢村】について調べると告げて自宅に戻ったら一通のLINEが…。

               

              「そんな記憶にないところより、記憶にあるこっちが気になる」と…

              続いて【大分県東国東郡富来村】の住所が届く。


              婆ちゃんの足跡が知りたくて調べようと思ってるんやけどなぁf^^;

              と思いつつ、これも足跡ではあるので【有漢村】と同時進行で調べる。

               

               

              ■やっぱり旧住所の壁

              有漢村と同じく旧住所の壁にぶちあたる。

              東国東郡なんてとっくにないし、そもそも何て読むのかすら分からんし。

              そんなレベルからスタート。

               

              ただ有漢村と違ってオカンの記憶が微かに残っていると言う点は違う。

               

              そしてやはりWikipediaであっさり現在の市町村が分かり、

              大分県国東市に改編されている様子で富来の地名も残っている。

               

              ここまでは誰でもすんなり到達できる。

              改めて前々回で書いた事を言うと、このネットで中途半端に検索できることに惑わされる。

               

               

              ■やっぱり謎の住所変換サイト

              これまた前々回に登場した”住所変換サイト”

              【有漢村】で変換した時に信じなかったのは【富来村】のおかげ。

              変換作業をしたのがこっちが先と言う事もあり変換結果を鵜呑みにしてしまう。

               

              それでも結果的には大きな前進となったので良かったのかも知れない。

               

              検索結果を基にgooglemap、ストリートビューを見てみる。

              オカンの記憶である【海の近く】ではないものの、お寺は近くにある。

               

              スクショしオカンに送信してみると「ここと言われればここ。違うと言われれば違う」

              何とも煮え切らない返事が返ってくる。

               

              全く知らない僕が「じゃここで」とも言える訳もなく…調べる事への限界を感じつつ…。

               

               

              今日はここまで。では。

              あっさり。からの、すんなり。

              2018.11.05 Monday

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                久し振りにうちのFAMILY HISTORY続きの続き。

                 

                2年前の祖父母の祖先を辿った時と決定的に違うのは…

                ・時代が近いと言う点

                ・そしてごく一般人であると言う点

                 

                2年前の時は戦国武将の末裔やら、

                徳川家の家臣やら江戸時代を代表する芸術家やらが登場しました。

                明治天皇に軍帽を謹上していたお方も出てきましたな。

                 

                 

                さて前回では現住所が判明したところまで書きました。

                 

                 

                ■出生地判明!

                現住所が判明し早速検索googlemapで検索してみる。

                 

                0.04秒でヒット・・・ストリートビューにしてみる。

                やっぱりネットって便利やねf^^;

                 

                当時の建物ではないだろうけど田圃の中にポツリと一軒だけ立派なお屋敷が建っていた。

                 

                そしてお世辞にもあてにならなかった伯父さん唯一の当時の記憶、

                【川の近くに住んでいた】証言にも合致する川がすぐ横に流れている。

                 

                少なからず64年前に婆ちゃんが住んでオカンが生まれた場所が判明。

                普通の人なら15分くらいで調べられそうな事を三日もかかった。

                 

                オカンの話だと「当時は極貧で間借りして住んでた」と言うことなので、

                多分、この立派なお屋敷に住み込み女中みたいな感じだったのかなぁとこの時は想像していた。

                 

                 

                ■祖父が歩いただろう道のり

                出生地が判明し村役場跡も分かっているので、

                googleでルート検索をしてみる。

                 

                当時とは道路も違うし、元々のあった道ではないかも知れないけど、

                村役場までは徒歩20分の距離。

                周囲には田圃が多いので畦道を祖父は歩いたんだろうと想像できる。

                 

                どんな気持ちで歩いたんだろうか…婆ちゃんも一緒に行ったのか…

                何かのついでだったのか…出生届けだけで村役場方面に行ったのか…

                誰かの車に乗せてもらったのか…バイクだったのか…

                 

                そんな事は分からないし知ってる人がいるとは思えないけど、

                肝心な伯父さんの記憶はやはりない。

                 

                 

                ■訪れようと決める。

                住所が判明してもしなくても、高梁市には行く予定やし

                村役場跡くらい見ようと思ってたので有漢町には訪れる気ではいたけど、

                現住所が判明しそこに今住んでる方がいるので迷惑を省みず、

                何か当時の事を知るヒントになればと訪れてみようと思う。

                 

                無視されて当然。「知るかボケ」と言われて当然。

                それでも婆ちゃんの足跡を少しでも知れたら…。

                 

                 

                今日はここまで。次回は大分のお話。では。

                60年前の住所…あっさり

                2018.10.27 Saturday

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                  うちのFAMILY HISTORY前回の続き

                   

                  戸籍の古い住所が市町村合併後の現在の住所と違う!ってところまで書きました。

                   

                   

                  ■難しくさせた物

                  最初に結論を言うと…

                  岡山県上房郡有漢村の番地までの現住所は物凄くあっさり判明した。

                  ただそこに辿りつくまでに2日も要し考えぬいた結果、灯台下暗しでした。

                   

                  憶測ではあるが、市役所や町役場に問い合わせればすぐ教えてくれると思う。

                  ネットで調べたら現在の町名くらいはすぐに分かる。

                   

                  現に【上房郡有漢村】と検索すればWikipedeliaが検索にひっかかり、

                  村の歴史から合併した年月、どこに編成されたかすぐに分かる。

                   

                  この”すぐに分かる”に味をしめネットで探ろうとしてし、

                  中途半端な情報のまま進み難しくさせたんだろうと思う。

                   

                   

                  ■昔の地図から

                  「ネットですぐに調べられる」と思い込んだ僕はネットから抜け出せずにいた。

                  【岡山 昔 地図】【岡山 昭和30年地図】【昔 地図】【有漢村 旧住所】

                  考えられるワードで検索するも有漢村の地図なんて出てこない…。

                  昔の岡山市内の地図が出てきても見つけられる訳も無く暗礁に乗り上げる。

                  またこの時、幼少を過ごした大分県も同時進行で探ろうとしていたので、

                  どっち着かずになっていた感はある。

                   

                   

                  ■謎の住所変換サイト

                  地図から探すのを諦め昔の住所を現在の住所に変換する術は無いかを探り、

                  まさに旧住所を現在の住所に変換してくれるサイトを発見し早速やってみる。

                   

                  これまた大分編の時に書くけど、結局このサイトが示す現住所が、

                  全く当てにならないと気づきこの方法での検索を断念。

                   

                   

                  ■救世主 NPO法人 夢風車うかん

                  この段階で現住所について分かっていたのは、

                  有漢村が現在の【岡山県高梁市有漢町】って事。

                   

                  これを見てる人は「電話すりゃ良いやん」と思うだろうし、

                  僕自身役場に電話すればすぐに判明したと改めて思う。

                   

                  結局ネットで現住所が分からぬまま【有漢村】で色々調べていたら、

                  NPO法人 夢風車うかんなるサイトに流れ着く。

                  閲覧してみると有漢町の紹介やイベントの催しや歴史について触れている。

                   

                  何か分かるかも!と思い恥を忍んで電話。

                   

                  女性の方が物凄く丁寧に応対して下さり、知りたかった村役場跡が判明するも

                  出生地の現住住所までは分からず…。それでも村役場跡が分かっただけでも御の字。

                   

                  そして言われたのが「町役場に聞いてみては?」と…

                  思わず「あっ」て言った程、こんな単純な事に今まで気づかず…。

                   

                  早速、町役場に電話。そして言われたのは…

                   

                  「高梁市になったけど、村を町に変えるだけで番地は一緒ですよ」

                   

                   

                  ・・・・・・マジか・・・・・・・・。

                   

                  ってことは【有漢○○番地】を【有漢○○番地】にするだけ。

                  この二日間はなんだったんだろうか…。

                   

                  その後村役場跡の場所を改めて確認し、何故祖父母が岡山にいたのかのヒントになりうる、

                  昭和30年代に村が栄えた物、産業・産物を聞き電話を切る。

                   

                  改めて、この間の無駄な行動に恥ずかしくも情けなくもなりつつ今回はここまで。

                   

                  次回恥ずかしさから立ち直ってたら会いましょう。では。

                  久し振りに、うちのFAMILY HISTORY

                  2018.10.22 Monday

                  0

                     

                    2016年5月に母方の祖母を、2016年の夏に父方の祖先を辿って、

                    中途半端な結論でモヤっとさせましたが…。

                     

                    今回もモヤっとさせる全くもって興味がないだろうお話。

                     

                    オカンのルーツ、ひいては大好きだった婆ちゃんの足跡を少し辿るお話。

                     

                    直接婆ちゃんから昔話は聞いた事も無かったし、

                    「祖先は戦国武将」って小さい頃に聞いたくらいで今まで全く知らんかった。

                     

                     

                     

                    ■今までオカンは大分県で生まれ大阪育ちと思ってた。

                    これまでオカンから聞いた事があったのは…

                    ・大分県の海の近くで幼少の頃過ごした事。

                    ・大阪に越してきて離縁した事。

                    ・高槻のメーカーで婆ちゃんが働いてた事。

                    ・大阪市内の高校に通った事。

                    ・門真市に住んで近所の喫茶店でバイトした事。

                     

                    これくらいw

                     

                     

                    ■岡山生まれだと聞かされる。

                    たまたまの偶然ではあるんやけど…。

                     

                    実家で「週末、男はつらいよロケ地巡りで岡山県高梁市に行く」と告げたところ、

                    オカンから「生まれは岡山やで」と聞かされ場所を聞くと【岡山県上房郡有漢村】

                    現在は市町村合併で消滅し、どこになるのかは全く知らないし記憶にもないとの事。

                     

                    出生は有漢村で2,3歳までしか住んでおらず大分県に引っ越して保育園に通ったらしい。

                    その後、大阪に引越し小・中・高校と通い現在に至る。

                     

                    もう60年以上も前のお話、しかも3歳くらいなら記憶がないのは当たり前。

                    戸籍に【出生地】【届出日】【届出人】が記載されていて詳細な住所が発覚し、

                    消滅した市町村がどこか気になったので調べてると現在の高梁市

                    これまたなんと言う偶然…。何か運命めいたものを勝手に感じてしまう。。

                     

                    地図で確認するとロケ地から20分ほどの距離。これは行くしかない。

                     

                    もちろん当時の事なんて知っている人もツテもある訳は無く…。

                    徳島に実家がある婆ちゃんが、何故岡山の山奥にいたのかも知るすべもない。

                    けど確かにそこでオカンは生まれ、婆ちゃんが住んでたのは間違いない。

                     

                     

                    ■古い住所と現在住所の相違

                    日本と台湾ら数国にしかない戸籍制度。

                    今まで特に気にしなかったけど何気に凄い制度だなぁと今回認識させられる。

                     

                    今度書く予定のオカンの大分時代の記憶。

                    僕は会った事のない祖父の田舎で暮らしてたらしいけど、

                    それも戸籍には市町村合併前の住所が記載され大まかな場所も特定できる。

                    その気になれば、オカンの従妹であろう人物を探る事ができる。

                     

                    だからと言って何かをする訳でもないし考え方によっては恐ろしいけど、

                    自分のルーツを知ると言う意味では本当に素晴らしい制度だと思う。

                     

                    で、話を戻すと…

                     

                    戸籍からオカンの生まれた住所は判明。

                    会った事ない祖父、即ちオカンの父が出生届けを昭和30年1月村役場提出。

                    当時の村長さんが受理している。

                     

                    僕が気になるのは、

                    オカンが生まれた場所=婆ちゃんが住んでた場所。

                    祖父が出生届を提出した村役場跡と向かった道のり。

                     

                    やはり【大分の祖父、徳島の祖母がなぜ岡山の山奥に?】

                    これが一番知りたいけどやはり知る術は無い。

                     

                    オカンも伯父さんも口を揃えて言うのは、

                    「離縁する前の極貧で間借りして住んでた時代だから祖母も一切話さなかった」

                     

                    当時を知るオカン以外の生存者、

                    当時5歳くらいだった伯父さんの記憶は殆どなく「川の近くに住んでた気が…」くらい。

                     

                    やはり戸籍に書いている住所だけが頼りになるけど、

                    市町村合併で今とは変わっていて分厚い壁にぶち当たる。

                     

                     

                    今回はここまで。

                    また次回気が向いたら会いましょう。では。

                    1705kmその10.5 〜函館幕末編〜

                    2018.09.04 Tuesday

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                      では早速。

                       

                      【旧イギリス領事館】と【ペリー広場】の目と鼻の先にあるのが

                       

                      【箱館奉行所跡】

                       

                      ペリー提督が函館に来航したのが1854年4月。

                      その約50年前に幕府の役所としてこの場所に設置。

                       

                      1864年に五稜郭の完成と共に五稜郭内に移転。

                       

                      【五稜郭】

                      五稜郭の真ん中付近にある建物が復元された

                      【函館奉行所】

                       

                      当時使われた材料などを忠実に再現し復元された建物は圧巻。

                      もちろん中も見たけど、なんでしょ物凄く綺麗で木造なのに、

                      少々の事ではびくともしないドッシリ感。素晴らしいの一言。

                       

                      入館料500円くらいだけど十分支払う価値ありの施設♪

                       

                       

                      話を戻して。

                       

                      函館奉行所の移転、五稜郭の完成が1864年旧暦6月15日

                      その10日前の同6月5日に京都では新撰組が名を上げる池田屋事件が勃発。

                       

                      この二つを結ぶ人物が新撰組副長の土方歳三。

                       

                      五稜郭完成と池田屋事件からたった5年。

                      旧幕府軍として蝦夷地に渡り箱館戦争で新政府軍に抵抗を見せるも銃弾に倒れる。

                       

                      【土方歳三最期の地】

                       

                      1864年

                      池田屋事件では幕府の命で、近藤勇らと隊を率いて大暴れし、

                      もっと活躍し近藤を出世させようと奮闘。

                       

                      1867年

                      6月 京での活躍が認められ幕臣に取り立てられた矢先。

                      10月 大政奉還

                       

                      そこから一気に状況が変わり、新政府軍に実権を握られた後今度は賊軍となる。

                       

                      1868年

                      鳥羽・伏見の戦いが開戦し戊辰戦争で旧幕府軍が劣性のなか、

                      甲陽鎮部隊として甲斐国に赴くも近藤が捕まり嘆願虚しく同年4月に斬首。

                       

                      間もなく江戸無血開城がなされると江戸を脱出、仙台で榎本武揚らと合流し蝦夷へ。

                       

                       

                      こう見るとたった5年の出来事でいかに激動の時代の中を駆け抜けたかが分かる。

                       

                      若干、違うかも知れないけどf^^;

                       

                       

                      五稜郭、土方歳三ときて忘れてならないのは…

                       

                      【榎本武揚像】

                      函館駅方面から五稜郭に向かう途中にある梁川公園内にある胸像。

                       

                       

                      僕の勝手なイメージで言うと…

                      大久保利通と同じで小ズルいイメージがある歴史上の人物なので好きではない。

                       

                      旧幕府軍を率いて蝦夷共和国の総裁になり新政府軍と戦って敗戦したにも関わらず、

                      何故か土方歳三の死から39年後の1908年明治41年まで生き延びただけではなく、

                      明治政府の要職を歴任した人物。

                       

                      敗戦したからと言って死ぬ事が美徳とは言わないけれど…

                      蝦夷共和国の閣僚8人いたうち、箱館戦争で死んだのは土方歳三だけ。

                       

                      何か好きになれない人物なのです。

                       

                      前日のタクシーツアーの運転手さんから聞いた、

                      伊能忠敬の弟子であり函館に訪れたであろう父・榎本武規が

                      抱いた蝦夷地開拓の夢を武揚が引き継いだと言われれば、

                      少し好きにはなったけど…それでも…ねw

                       

                      なのでこれ以上深堀しません。

                       

                      もっと幕末・明治にかけての縁の地が沢山あるだろうけど、

                      短い時間で駆け足で廻った函館幕末編でございました。

                       

                       

                      最後に五稜郭タワーの1階と展望台にあった土方歳三像でお別れ。

                       

                       

                      では。